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脳卒中経験者が語る「保険者に考えてほしいこと」

多くの保険者様で実施されている重症化予防事業は脳卒中などのイベント発症を防ぐことを目的として行われているかと思いますが、今回の特集では実際に脳卒中を経験された方2名にお話を伺いました。
「もっと早く薬を飲んでいれば」「健診や人間ドックは大切」などの率直な体験談を通して、今後の生活習慣病重症化予防事業を考えてみませんか。


目次[非表示]

  1. 1.事例1.  奥川さん(男性、キッチンカー・飲食店店主、発症時30代後半)
  2. 2.事例2. 黒澤さん(女性、主婦、発症時40代後半)
  3. 3.インタビュアー・武田より


インタビュアー:武田 尊徳

理学療法士。株式会社JMDC 保険者支援事業本部 運用支援部 商品開発グループ所属。
総合病院で10年以上にわたり理学療法士として急性期や回復期のリハビリテーションに従事したのち、現職。主に重症化予防や保健指導サービスの商品企画を担当。

【武田】
今回インタビューさせていただいたお2人は、職場の先輩の同級生であったり新人の頃に担当させていただき退院後もお付き合いのある方であったりと、脳卒中発症時の状況や経過を実際に見聞きしてきました。
今回、重症化予防がいかに重要かを皆さんにもお伝えするために改めてお話を伺いました。


事例1.  奥川さん(男性、キッチンカー・飲食店店主、発症時30代後半)

※リハビリデイサービス アクティ 理学療法士の前田さん(奥川さんの同級生)とともにお話を伺いました

— 脳卒中を発症する前の状況について教えてください

奥川さん:キッチンカーと飲食店の仕事をずっとしていて、国民健康保険組合に加入していました。
健診の案内は届いていたのかもしれませんが…記憶にはありません。大学入学時に健診を受けた18歳以降、全く受けたことがありませんでした。

    

— 脳卒中になる前に兆候はありましたか?

奥川さん:大きな病気はしたことがありませんでしたが痛風のため通院はしていて、その際に血圧を測ったので高血圧(収縮期血圧が180-200mmHg)であることは認識していました。
しかし、仕事が忙しくて生活習慣を変えることはありませんでした。運動する時間もなかったですし、食事の時間は不規則で自分のお店で食べるので実質的に外食が多いような状況でした。
ずっと高血圧を放置していましたがそろそろ薬を飲んだ方が良いかなと思い、服薬を開始して1,2ヶ月後、血圧が下がらないので量を増やした直後に脳卒中を発症しました。
今思うと当時は頭痛がひどかったのですが、頭痛持ちだと思っていたのでそのために医療機関を受診することはありませんでした。

     

— 脳卒中を発症したときのことを教えてください

奥川さん:2020年7月に発症しました。
左半身が動かなくなって救急車は自分で呼び、搬送中も意識がはっきりしていました。
最初は事の重大さを理解していなかったためとても冷静でしたし、2,3日で退院できるだろうと思っていました。医師から「脳出血だから今すぐ死ぬわけではないので安心してください」と言われて、「それはそうだろう」と思っていたほどです。家族の方が心配していましたが、コロナ禍のため入院中はあまりサポートを得られませんでした。
一般病棟に移った頃に退院まで時間がかかるものだと気づきましたが、早くお店に戻りたかったので1ヶ月で無理やり退院しました。

前田さん:入院中は「寝られなくてきついから早く退院したい」とずっと連絡が来ていました。まだリハビリが必要だったので外泊などで対応していましたが、結局1ヶ月で出てきてしまいました(笑)

    

— 退院してからの生活はいかがでしたか?

奥川さん:退院時は歩くことはできましたが、お店に立てるようになるまでには3ヶ月かかりました。

前田さん:8月に退院して、9月は復職のためのリハビリとしてうちの事務作業などを手伝ってもらうことにしました。その頃は後遺症によるしびれや感覚障害、高次脳機能障害の影響(鍋の温度がわからず熱いまま触ってしまうことや調理の段取りがうまく立てられないことなどがあったそうです)で苦労していました。
慣れている飲食店の仕事に近いことをしながら頭の回転を戻し段取りを覚えていくため、10月中旬からハンバーガー店でアルバイトを始めました。

奥川さん:そんなこともありました(笑)その後、「リハビリ営業」といって休みを多くしながらお店に立ち始めましたが、今ほど動けませんでした。

     

— 後遺症はありますか?

奥川さん:痺れが一番辛く、今でも薬を飲んでいます。特に寒い日はひどいです。
動きに関しては発症してすぐはほとんど動けませんでしたが、徐々に回復して退院時は発症前の50%くらい、今は痺れなどなければ100%に近いと思います。走ったりジャンプしたりすることもできますし、キッチンカーの運転も問題ありません。
触覚や温度感覚は発症前の60,70%くらいまで戻っていますが、足裏の感覚があまりないため微調整がきかず、ひねったり滑ったりしてしまうことがあります。
頭の回転も戻ってきていますが、忘れ物が少し多いなど100%ではないと思います。

     

— 現在の生活はいかがですか?

奥川さん:今は1ヶ月に1回は薬をもらいに通院しています。血液検査も3,4ヶ月に1回の頻度で受けていますが、正常値です。
医師からは「脳出血だし、血圧さえコントロールしていれば大丈夫」と言われたので、脳のCTやMRIを定期的に撮ることはありません。
発症後1年くらいは食生活も気にしていましたが、最近はあまり気にしなくなってきました。以前より食生活が悪くないのと服薬のおかげで今は血圧が上がっていないので、再発が怖いとも特に思いません。

前田さん:仕事柄、味見をするだけでも塩分を摂取してしまうんですよね。以前はむくみがひどくてパンパンでしたが、今は良くなっています。

     

— 振り返って思うことはありますか?

奥川さん:もっと早く服薬しておけば良かった、と思います。
ただ今考えても、仕事が忙しいので健診の案内や勧奨がきても受診しないと思います。健診に行く時間の分、休業補償などがあれば受けると思いますが…
血圧が150mmHgを超えたら強制的に薬を飲まないといけない決まりがあれば良いんですが(笑)


事例2. 黒澤さん(女性、主婦、発症時40代後半)

ー脳卒中を発症する前の状況について教えてください

国の機関で週3日パートとして働いていました。発症したのはその仕事が10年目になったときでバイトリーダーとして責任がありましたし、東日本大震災の年で震災後のストレスや疲れがありました。
それに加えて、PTAなど子供の学校関係、家庭関係、家事など様々なことに毎日追われていて、家族優先で自分は後回しという生活でした。

夫の被扶養者として健康保険組合に加入していて、人間ドックは毎年受けていました。
発症の1年前に受けた人間ドックで血圧とコレステロール値がD判定だったため、結果を持ってかかりつけの内科を受診しました。健診時の収縮時血圧は160mmHgくらいでしたが、病院で測るたびに値が下がっていったこともあり、主治医の判断で服薬するかどうか様子を見ることになりました。食生活を改善するようにも言われましたが忙しくて何もできず、疲れて帰るのでお惣菜で済ませる日も多かったです。
めまいなどの症状もありましたが、疲れや年齢的に更年期のせいだろうと思っていました。

     

ー脳卒中を発症したときのことを教えてください

発症した日(2011年4月)は仕事をしていましたが、朝から「手先がうまく使えないな」と思っていました。14時頃に休憩でトイレに行った時には左足が鉛のように重かったのですが、歩けるし手もグーパーできるので放置してしまいました。
帰り道では、足がすごく重くて駅の階段を降りるのが怖かったり、買い物では手がうまく動かなくて財布からお金を出すのも大変だったりしました。それでも、「早く帰って子供を塾に送らないと」と思い、病院に行くのを後回しにしてしまいました。そのときに病院に行っていれば後遺症が軽く済んだかも、と今でもとても後悔しています。
帰宅すると体がだるく、早々と横になりました。夜中に喉が乾いて水を飲もうとしたら起き上がれなかったのですが、時間的に迷惑だと思って家族を起こすことができませんでした。
結局、翌朝になってから家族を起こして救急車を呼んでもらいましたが、そのときには血圧が230mmHgほどまで上がり、体に力が入りませんでした。搬送中は意識がしっかりしていましたがすぐにICUに入り、4ヶ月間入院しました。

     

ー入院中の様子を教えてください

入院して1週間は動けず、「これから先歩けないのだろうか?車椅子生活になるのだろうか?」と気持ちはどん底で、家族が帰った後は毎日泣いていました。
しかし、看護師さんが寄り添ってくれたりリハビリの先生が明るく声をかけてくれたりしたのに助けられ、「ここまで辛いことがあったらこれ以上辛いことはない」と思えるようになりました。
1ヶ月くらいで病院の中を歩けるようになり、毎日病室に来て支えてくれた家族や友人にもとても感謝しています。

      

ー退院後の生活はいかがでしたか?

退院時は要介護1の状態で、何かあったらどうしようと思うと怖くて一人で外出できませんでした。
しかし、家族からは甘やかされることはなく、やれることは自分でやれるようにと見守ってくれていました。実家の母も時間があれば来てくれて、料理の下ごしらえなどを手伝ってくれました。家族は、リハビリの様子を見ていて良くなると信じてくれていたようです。
一人では立ち直るには時間がかかったと思いますが、私は周りからのサポートがたくさんあったので、「自分は良くなることを考えてリハビリをやるしかない」と思うことができました。
そのおかげで、今では家族と(コロナ禍以前は)旅行に行ったりコンサートに参加したりできるようになりました。

また自分でネットで調べて脳疾患の会に積極的に参加し、同じ境遇の人と会っていたこともありました。そこで会う人たちは片手が動かない人ばかりでしたが、行動的な人が多くて各々頑張っているので勇気づけられました。

     

ー後遺症はありますか?

発症後も、膜がある感じはしますが感覚はありました。
肩はとても痛くて腕は曲がったままでしたが、リハビリのおかげで伸ばせるようになりました。手が使えるイメージを脳に植え付けることで徐々に回復できましたし、リハビリの先生が楽しませてくれたのでリハビリが大好きでした。

今は杖がなくても歩けるようになりましたが、麻痺が残り完璧に治っているわけではありません。訪問リハビリを週2回受けて、筋力トレーニングやバランストレーニングをしています。あとは1日5,000歩以上歩くように言われていますが、コロナ禍で外出制限がある中でなかなかで難しいです。
ただ、少しでも良くなりたいと思い、ネットで新しい治療法を調べたりもしています。

     

ー現在の生活はいかがですか?

今は2ヶ月ごとに薬をもらうため通院しています。血液検査もして管理してもらっているので、数値は良いです。
発症から10年が経過したときに主治医が変更となるのがきっかけでMRIは撮り続けなくても良いと言われましたが、家族から勧められて1年に1回撮っています。人間ドックに脳のMRIも含まれていれば良いのに、と思います。

職場は1年間待ってくれていたのですが、当時は復職の自信がなく仕事を辞めてしまいました。社会から離れてしまう孤独感や喪失感を感じてとても辛かったです。
今では求人誌を見て仕事を探したり、昔やっていたドラマのエキストラにもう一度挑戦したいと思ったりすることもあります。ただ、エキストラは事件現場で逃げるなど走る役が多くて今の状態では難しいので、小走りができるようになることが次の目標です!

また、コロナが収まったら好きなアイドルのファン仲間に会って、みんなでライブに参加したりオフ会をしたりしたいです。
私は好きなものがあったからここまで頑張れたと思います。一人ではない、自分が必要とされていると思えることが回復に繋がりました。

     

ー振り返って思うことはありますか?

毎年の健診や人間ドックはとても大切ですし、要検査になったらすぐに病院に行って対処するのが大事だと思います。
人間ドックは補助が出ますが無料ではないことが多いですし、脳ドックは高いので気軽に受診できません。若くても脳疾患になってある日突然生活が180度変わってしまう人がいるので、多くの人が気軽に脳ドックを受けられるようになってほしいです。例えば、10歳ごとなどの節目に無料で受けられる制度があればみんな受けるでしょうし、健康に対する意識も変わるのではないかと思います。

私の家族では、夫は人間ドックを毎年受けていますし、子供たちも会社の健診を必ず受けています。少なからず私が脳卒中になったことが影響していると思いますが、健診を通して自分の体のことを考えるようになったようです。

自分の体は過保護なくらいにしてあげるべきだと思います。家族や仕事などを優先すると、私みたいに”後悔先に立たず”の状態になってしまいます。
「血圧やコレステロールの薬を早めに飲んでおけば」「あの日会社帰りに病院に行っておけば」と今でも思います。
健診や人間ドックの受診、医療機関の受診はとても大切です。


インタビュアー・武田より

お2人とも今ではこうして元気に過ごされていますが、当時は辛く大変な思いもたくさんされていたのだと改めて感じました。
こうした方々に寄り添った医療を提供することは重要ですが、お2人が話してくれたように第一には病気にならない事や重症化を予防することがとても重要であると考えています。


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